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土居下同心

土居下同心

はじめに

名古屋は徳川御三家筆頭と言われた。藩の体制も堅固であった。それを物語るのが、御土居下御側組同心の存在である。本来こう言うことは機密であるので、情報を得るのが困難だが、尾張徳川は機密に甘いようである。

御土居下御側組同心

正式には御土居下御側組同心である。いざとい時に定光寺まで、藩主の護衛を務め、中央道へ逃がすという任務を与えられた世襲の家てあって、名古屋の掘外の北東に屋敷を構えていた。18軒の家があり、任務は家長に与えられていて家族と言えども他言は禁じられていた。殿様の近くに仕えていて、教養も重視された。忍者であっただろうと思う。同じような組織はほとんどの藩が持っていたと思うが、土居下同心として世に出てきたのは奇跡だろう。尾張藩江戸幕府に次ぐ家であったから、隠し通すには大きすぎたのかもしれない。

御土居下御側組同心 - Wikipedia

 

名古屋城

 

おわりに

 

瀬戸電では、今ある東大手駅の北に「土居下」駅がありました。1978年に栄への乗り入れが開始されるまでは、この駅は名古屋城の堀跡を通り、大津通に位置する「大津橋駅」が瀬戸電の終点でした。土居下駅はその直前の駅でした。土居下から大津橋駅までは、空堀の中を通っていました。大津橋駅は市役所の近くで、栄の1.5kmほど北です。また、名古屋駅とは直接の連絡はありませんでした。