家と個人
はじめに
明治時代に作られた帝国憲法は民法で定めた家制度の上に成り立っていました。戦後、1947年に廃止されてから75年以上が経過しましたが、まだ捨てきれていない人も多く、この立場で話をする人もいます。そこで、「家」の歴史とその形成過程を調査してみることにしましょう。
歴史
「家」は1族として一塊の人であることもありますが、「house」も同様に「家」と訳され、むしろこのほうが一般的です。血縁関係者としては「氏」も使われるため、小さな「氏」が「家」であると考えられます。
氏は血縁関係を基にしており、その概念は古くから存在していました。
家督相続
「家」は有形無形の資産を持っていて、その継承が必要です。家の資産は家督と言いますが、家督を相続するのは長子となったのは明治時代に民法で決められてからです。
江戸時代の歴代将軍を表にしました。
代 | 氏名 | 在職 | 出身家 | 享年 | ||
1 | とくがわ いえやす 徳川家康 (初め元康) |
1603年2月12日 | 安祥松平家 | 75 | ||
2 | とくがわ ひでただ 徳川秀忠 |
1605年4月16日 | 徳川氏 | 54 | 三男 | |
3 | とくがわ いえみつ 徳川家光 |
1623年7月27日 | 徳川将軍家 | 48 | 次男 | |
4 | とくがわ いえつな 徳川家綱 |
1651年8月18日 | 徳川将軍家 | 40 | 長男 | |
5 | とくがわ つなよし 徳川綱吉 |
1680年8月23日 | 館林徳川家 | 64 | 家光4男 | |
6 | とくがわ いえのぶ 徳川家宣 (初め綱豊) |
1709年5月1日 |
甲府徳川家 | 51 | 綱重の長男 | |
7 | とくがわ いえつぐ 徳川家継 |
1713年4月2日 |
徳川将軍家 | 8 | 四男 | |
8 | とくがわ よしむね 徳川吉宗 (初め頼方) |
1716年8月13日 | 紀州徳川家 | 68 | 紀州光貞の四男 | |
9 | とくがわ いえしげ 徳川家重 |
1745年11月2日 | 紀州徳川家 | 51 | 長男 | |
10 | とくがわ いえはる 徳川家治 |
1760年5月13日 | 徳川将軍家 | 50 | 長男 | |
11 | とくがわ いえなり 徳川家斉 |
1787年4月15日 | 一橋徳川家 | 69 | 一橋家治済の長男 | |
12 | とくがわ いえよし 徳川家慶 |
1837年4月2日 |
徳川将軍家 | 61 | 次男 | |
13 | とくがわ いえさだ 徳川家定 (初め家祥) |
1853年11月23日 | 徳川将軍家 | 35 | 四男 | |
14 | とくがわ いえもち 徳川家茂 (初め慶福) |
1858年10月25日 | 紀州徳川家 | 21 | 次男 | |
15 | とくがわ よしのぶ 徳川慶喜 (初め昭致) |
1867年12月5日 | 一橋徳川家 | 77 | 水戸斉昭の七男 |
将軍の役割の一つは後継者を確保することで、一夫多妻が普通でした。しかし、多くの奥さんに囲まれながらも、実際には養子が多く採用されました。将軍などは後継者として選ぶのに、母の出自やその人の器量が考慮されていました。その為、必ずしも長男が将軍になるわけではありませんでした。
全く子供がない場合は、名目上の子供が、血縁者でない場合もありました。
(私たちはアフリカの「イブ」の子孫と言われていますので、何代か 遡れば血縁になるでしょうが)
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源氏物語の世界
源氏物語は平安時代を描いており、平安時代の貴族の結婚形態は、妻問婚であったと考えられます。そして、平安時代には女性の力が大きかったことがわかります。
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- 平安貴族 - Wikipedia
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遺伝子
田中耕一さんがノーベル賞を受賞し、ゲノム解析が安価で迅速になり、現在では一般的に利用されています。その手法は再現性が高く、科学的な方法として、人類学でも広く利用されています。
私たちには両親がいます。一代前の先祖は2人であり、その前は4人でした。祖先数=2^戻る代となります。30年ごとに人は新しくなるとして計算すると、祖先の数は室町幕府成立時の人口を上回り、鎌倉幕府の成立時ではほぼ30倍の先祖がいたこととなります。遺伝子の観点から見れば、生物はすべて繋がっています。つまり、「万系一世」であると言えます。したがって、「万系一世」は遺伝子を基にした言葉ではなく、「家」の価値観の上にある言葉です。
おわりに
私たちは、ある特定の視点や考え方(パラダイム)を通して世界を見ています。客観的な事実であっても、それを見る人の視点によって解釈が異なります。それを自覚する事が必要です。私たちは、家=氏での見方を、よくしてしまいます。同じ事実であっても、異なるパラダイムを持つ人々が無自覚に論争をすると、意見が対立し、敵を作る事にもなります。