はじめに
現在では、ホモ・サピエンスは、およそ30万年前までにはアフリカで登場したと考えられています。DNA解析などによって、現生人類の祖先がネアンデルタール人やデニソワ人など、他の人類と交雑したことも分かってきました。
しかし、ホモ・サピエンスの歴史を長い時間軸で振り返ると、人間そのものが大きく変化してきたというよりも、人間同士の関係や社会の仕組みが大きく変化してきたことが分かります。
その変化を、一筋の流れとして俯瞰してみたいと思います。
その歴史は、単純な「技術の進歩」だけではありません。食料の得方、住む場所、人間同士の関係、権力の持ち方、情報の伝え方、経済の仕組みなどが変化するたびに、社会そのものの形も変わってきました。
新しい技術や制度が生まれ、それが社会に普及・定着すると、人々の生活だけでなく、人間関係、経済、政治の仕組みまで変化することがあります。
つまり、人類の歴史には、innovation(革新)が生まれ、それが社会に普及・定着することで、social transformation(社会の大きな変容)が引き起こされるという流れを見ることができます。
例えば、農耕という革新は、単に食料の生産方法を変えただけではありませんでした。定住を促し、土地所有の概念を生み出し、人口を増加させ、村落や都市を生み、やがて国家の成立にもつながりました。
文字も同じです。文字は単なる情報伝達の道具ではなく、法律、会計、行政、宗教などを記録し、より大きな社会を維持するための基盤となりました。
さらに印刷、科学、産業革命、電気、コンピュータ、インターネットへと進むにつれて、人類が扱える情報とエネルギーの規模は大きく拡大していきました。
ここでは、ホモ・サピエンスの歴史を「社会を大きく変えた出来事」という視点から、19の転換点に分けて見てみます。
ただし、これらは独立した出来事ではありません。前の変化が次の変化を可能にし、複数の変化が重なりながら社会を変えてきました。また、地域によって時期や進み方も大きく異なります。
したがって、ここで示す19の出来事は、歴史を19の時代に区切ったものではありません。
ホモ・サピエンスの社会が、どのようなinnovationを取り入れ、それによってどのようなsocial transformationを経験してきたのかを理解するための、一つの見取り図です。
そして、この歴史を振り返る目的は、単に過去を知ることではありません。
私たちが現在「当たり前」だと思っている社会も、長い歴史の中では決して当たり前のものではありません。
家族、村、都市、国家、貨幣、市場、宗教、会社、学校、法律、中央集権国家、そしてインターネットに至るまで、現在の社会を構成している仕組みには、それぞれ成立した歴史があります。
その歴史をたどることで、現在の社会を当然のものとして受け入れるのではなく、「なぜ、このような社会になったのか」「別の形もあり得たのではないか」と考えることができます。
この19の転換点をたどることは、人類がどのように現在の社会を作ってきたのかを振り返ると同時に、私たちが生きている現在を、少し違う角度から見るための試みでもあります。

目次
1 ホモ・サピエンスの登場
2 言語・象徴能力の発達
3 ホモ・サピエンスの世界への拡散
4 象徴文化の発達
5 農耕・牧畜の開始
6 定住と村落の成立
7 都市成立
8 文字の成立
9 国家と官僚制の成立
10 貨幣・会計・市場の発達
11 金属精錬と軍事技術の発達
12 普遍宗教・思想の発達
13 大帝国の成立
14 活版印刷と出版
15 大航海と世界規模の交易
16 中央集権国家の成立
17 科学革命
18 産業革命
19 電気・通信・コンピュータ・インターネット
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1 ホモ・サピエンスの登場
大分類:人類そのものの成立
およそ20万年前、アフリカに現在の私たちと同じ種であるホモ・サピエンスが登場しました。それ以前にも、ホモ・エレクトスなど、さまざまな人類が存在していました。したがって「人間」が突然誕生したわけではありません。
しかし、現在の人類社会につながるホモ・サピエンスが登場したことは、その後の歴史の出発点になります。
主な具体例
アフリカでのホモ・サピエンスの出現、他の人類との共存、ネアンデルタール人・デニソワ人などとの接触・交雑などがあります。ここではまだ「文明」はありません。小さな集団で移動しながら生活する狩猟採集社会が、人類の基本的な社会形態でした。
2 言語・象徴能力の発達
大分類:情報共有能力の変化
ホモ・サピエンスの大きな特徴の一つは、人間同士で大量の情報を共有し、それを集団で利用できる能力です。
現在のような言語能力がいつ成立したのかについては、現在も議論があります。初期のホモ・サピエンスがどのような言語を使っていたのかを、直接知ることもできません。
しかし、音声によるコミュニケーションだけでなく、身振りや表情なども組み合わせながら、他者に情報を伝える能力が発達していったと考えられます。
人間は、目の前にあるものだけを伝えることができます。しかし、それだけではありません。
「昨日何が起きたのか」「明日はどうするのか」「遠くに何があるのか」「まだ存在していないものをどうするのか」といった、現在ここに存在しない事柄についても、他者と共有できます。
この能力によって、個人が経験したことを集団の知識として共有し、過去の経験を次の世代に伝えることが可能になりました。そして、共通の目的を持って協力するための基盤にもなりました。
言語は思考の道具でもある
しかし、言語の重要性は、他者との情報交換だけではありません。言語を持たない種族はいません。人間の非常に高い知能を考えるとき、言語を思考の道具として使えることは極めて重要です。人間は、目の前にある現実をそのまま受け取っているだけではありません。言葉によって現実を区切り、名前を付け、概念として扱うことができます。
例えば、「木」「動物」「危険」「昨日」「明日」「原因」「目的」といった言葉によって、目の前に存在しないものについても考えることができます。
現実には、色や大きさ、温度、時間など、連続的に変化しているものが数多くあります。言葉には、その連続した現実を区切って概念化する働きがあります。
そして、いったん概念として取り出したものは、別の概念と組み合わせることができます。
「雨が降る」
「明日は雨が降るかもしれない」
「明日雨が降るなら、今日は水を用意しておこう」
このように、人間は言葉によって過去を振り返り、現在を分析し、未来を予測し、まだ存在していない状況について考えることができます。
もちろん、人間の思考がすべて言語によって行われているわけではありません。映像、感覚、感情、直観なども重要な役割を果たしています。
しかし、複雑な概念を整理し、それらの関係を比較し、組み合わせ、推論するという高度な思考において、言語は極めて重要な役割を担っています。
人間にとって言語は、単なるコミュニケーションの道具ではなく、世界を分類し、抽象化し、記憶し、比較し、推論するための「思考の道具」でもあるのです。
言語思考から生まれたもの
言語を思考の道具として使えるようになると、そこから多くのものが副次的に生まれてきます。まず、経験を概念として整理できるようになります。「これは危険だった」「次はこうしよう」と考えることで、単なる経験を教訓に変えることができます。
さらに、「もしこうなったらどうするか」という仮定を考えられるようになります。これによって計画を立て、複数の選択肢を比較し、まだ起きていない未来に備えることができます。また、「~すべきだ」「~してはいけない」という規範を作ることもできます。
こうした規範が集団で共有されれば、共同体のルールになります。そして、それが発展すれば、慣習、宗教、法律、政治制度などにつながっていきます。さらに重要なのは、人間が実際には存在しないものを、集団で共有できるようになったことです。
例えば、「約束」「所有権」「貨幣」「国家」などは、自然界にそのまま存在する物体ではありません。しかし、人間がその意味を共有することによって、現実の社会を動かす力を持つようになります。つまり、人間は言語によって、物理的な世界だけでなく、「意味によって作られた世界」を生み出すことができるようになったのです。
主な具体例
言語、身振り、物語、神話、儀礼、装飾品、身体への装飾などが挙げられます。
特に重要なのは、「実際に存在するもの」だけでなく、「人間が意味を与えたもの」を集団で共有できることです。
ある模様や装飾品に特定の意味を持たせたり、ある儀礼を集団で繰り返したりすることで、人々は共通の認識を持つことができます。
こうした「共有された意味」は、後の宗教、法律、政治制度、貨幣などにもつながっていきます。
そして、個人の頭の中で生まれた考えを言葉によって他者と共有できるようになると、一人の人間の経験を集団の知識に変えることができます。
一人の人間が一生の間に経験できることには限界があります。しかし、言語があれば、他人の経験を聞き、それを自分の知識として利用できます。さらに、その知識を次の世代に伝えることもできます。
こうして人間は、一人の脳だけでは到底扱えない量の知識を、集団として蓄積できるようになりました。
ただし、この段階ではまだ情報を大量に保存する手段はありませんでした。
情報は主として人間の記憶と口頭によって伝えられます。そのため、情報を「共有する能力」は発達しても、その情報を長期間にわたって正確に保存したり、遠く離れた人々に大量に伝えたりすることには限界がありました。
後の歴史では、この限界を「文字」「紙」「印刷」「電気通信」「コンピューター」などの新しい技術が次々に突破していくことになります。
人類史は、単に知識が増えていった歴史ではありません。
「考えるための言語」が発達し、「共有するための言語」が発達し、さらに「保存するための文字」が生まれ、その情報を大量に複製し、遠くへ伝え、処理する技術が発達していった歴史でもあります。

3 ホモ・サピエンスの世界への拡散
大分類:地理的拡大
ホモ・サピエンスはアフリカで誕生した後、アフリカの外へ進出し、ユーラシア、オーストラリア、さらにアメリカ大陸へと生息域を広げていきました。
こうして人類史は、一つの地域だけの歴史ではなくなっていきます。
ホモ・サピエンスが世界各地へ進出できた背景には、身体的な能力だけでなく、文化や技術によって環境に適応する能力がありました。
寒冷地では衣服や住居、火の利用によって寒さに対応し、異なる環境では、その土地に適した食料の獲得方法や道具を発達させました。
多くの動物では、環境への適応には身体的・遺伝的な変化が重要になります。一方、ホモ・サピエンスは、身体そのものを変化させるだけでなく、道具、衣服、火、住居、食料獲得方法などを変えることで、環境に適応することができました。
しかも、それらの方法を個人だけでなく集団で共有し、次の世代へ伝えることができます。
この「環境を変えるのではなく、自分たちの生活方法を変えることで環境に適応する能力」は、ホモ・サピエンスが地球上の非常に多様な環境へ進出できた重要な要因の一つだったと考えられます。

主な具体例
アフリカからユーラシアへの移動、オーストラリアへの進出、シベリアからアメリカ大陸への移動などがあります。
寒冷地では衣服、住居、火の利用が重要になり、海岸では漁労や貝類の利用、草原では大型動物の狩猟など、環境に応じたさまざまな生活方法が発達しました。
こうしてホモ・サピエンスは、特定の環境にだけ適応した生物ではなく、異なる環境に応じて生活方法を変える生物となっていきました。
そして重要なのは、こうした生活方法そのものが「情報」として集団内で共有され、次の世代へ伝えられたことです。
前章で見た「情報を共有する能力」と、この章の「環境に合わせて生活方法を変える能力」が結びつくことで、人類は広い地域へ進出することができました。
4 象徴文化の発達
大分類:情報を「意味」として共有する社会
約4万年前以降、ヨーロッパなどでは洞窟壁画、彫刻、装飾品などが多数確認されています。
ラスコー洞窟やショーヴェ洞窟の壁画は、その代表例です。
重要なのは、単なる道具ではなく、「意味を持つもの」を人間が作っていたことです。
人間は物質だけでなく、象徴や物語を共有するようになりました。
主な具体例
洞窟壁画、動物を描いた絵、装身具、彫像、埋葬、儀礼などです。
後の宗教、国家、貨幣、法律なども、「人間が共有する意味」に支えられています。

5 農耕・牧畜の開始
大分類:食料獲得方法の変化
約1万2千年前以降、一部の地域で農耕や牧畜が始まりました。これは人類史における非常に大きな転換です。
それまでの狩猟採集社会では、野生の植物を採集し、動物を狩猟するなど、自然の中に存在する食料を利用することが基本でした。そのため、季節や天候、動物の移動など、自然環境に大きく左右されます。必要な食料を求めて移動する生活も一般的でした。
農耕が始まると、人間は植物の種をまき、成長を管理し、収穫するようになります。また、動物についても、野生の動物を狩るだけではなく、ヤギ、ヒツジ、ウシ、ブタなどを飼育し、繁殖させるようになりました。
つまり、人類は単に自然から食料を「採る」だけではなく、自然の生物を管理して食料を「生産」するようになったのです。
主な具体例
小麦、大麦、豆類などの栽培。
ヤギ、ヒツジ、ウシ、ブタなどの家畜化。
メソポタミア、中国、メソアメリカなどでは、それぞれ異なる作物や動物を対象として、農耕や牧畜が独立して発達しました。
農耕の大きな特徴は、食料をその場で消費するだけでなく、収穫した穀物などを一定期間保存できることでした。食料を蓄積できるようになると、人口を増やすことが可能になり、定住する集団も増えていきます。
ただし、農耕によって人々の生活がすぐに豊かになったわけではありません。初期の農耕民では、食料の種類が少なくなったことによる栄養状態の悪化や、人口集中による感染症の増加なども起こりました。
それでも、農耕は人間と自然との関係を大きく変えました。人間は自然の恵みを利用するだけでなく、植物や動物の生育・繁殖を自ら管理し、将来の食料を計画的に確保するようになったのです。
そして、食料を生産し蓄積できる社会では、定住、人口増加、土地や財産をめぐる争い、職業分化、社会的な階層化などが進み、やがて都市や国家の形成へとつながっていきます。

6 定住と村落の成立
大分類:居住形態の変化
農耕と牧畜の発達は、人間と土地との関係を大きく変えました。
狩猟採集民は、動植物や季節の変化に合わせて移動することが多く、特定の土地に長期間住み続ける必要は必ずしもありませんでした。
これに対して農耕では、土地を耕し、種をまき、作物を育て、収穫する必要があります。そのため、同じ場所を繰り返し利用することが重要になります。
牧畜では、家畜とともに移動する社会も多くありましたが、放牧に適した土地や水場を季節ごとに利用する必要があります。そのため、土地や水資源をめぐって他の集団との関係を調整する必要も生じました。
こうして農耕や牧畜が発達すると、一定の場所を長期間利用する社会が増えていきました。
定住すると、住居だけでなく、食料を保存する倉庫、農地、道路、水路などを整備する必要があります。また、収穫物や道具などを蓄積できるようになり、土地や財産との結びつきも強くなっていきました。
人間は次第に「移動する集団」から「土地に結びついた集団」へと変化していきます。
主な具体例
初期の農耕村落としては、ヨルダン川流域のエリコ、アナトリアのチャタル・ヒュユク、メソポタミアの初期農耕集落などがあります。
ただし、定住と農耕は必ずしも同時に始まったわけではありません。農耕が本格化する以前にも、豊かな資源を利用するために長期間定住する狩猟採集民が存在しました。
したがって、定住は単に「家を持つこと」ではありません。
同じ土地を継続的に利用するようになると、土地や食料、道具などの財産をどのように扱うのか、誰が利用するのか、親から子へどのように引き継ぐのかといった問題が生まれます。
さらに、共同で農地を整備したり、水を管理したり、収穫物を保存したりする必要も生じます。一方で、土地や財産をめぐる争いも起こり得ます。
つまり定住は、人間を単に「家に住む動物」に変えたのではありません。
土地、財産、相続、共同作業、分業、争いの調整など、それまでとは異なる社会関係を生み出しました。
そして、この村落社会の発達が、やがて都市、階層、行政、国家へとつながっていきます。

7 都市成立
大分類:人口集中と職業分化
村落がさらに大きくなると、都市が成立します。
都市では、農業だけを行う人だけでなく、職人、商人、宗教関係者、兵士、行政担当者など、さまざまな職業が成立します。
人間が一か所に大量に集まることで、社会の分業が急速に進みました。
主な具体例
メソポタミアのウルク、エジプトの都市、中国の初期都市などです。
都市には神殿、城壁、倉庫、市場などが作られました。
ここから「多数の人間を組織する」という問題が、人類社会の重要な課題になります。

8 文字の成立
大分類:情報保存方法の革命
文字は、人間の記憶の外側に情報を保存する技術です。
それまでの社会では、重要な情報を基本的に人間が記憶し、口頭で伝える必要がありました。もちろん、絵や記号などによって情報を残す方法はありましたが、文字が成立すると、より複雑な情報を記録し、時間を越えて保存できるようになります。また、記録を運ぶことで、遠く離れた人にも情報を伝えることが可能になりました。
一方、初期の段階では、文字を読み書きできる人は限られていました。
文字を扱える人は、行政、宗教、商取引などに必要な大量の情報を記録し、管理する能力を持つことになります。そのため、文字の成立は情報を広く共有する技術であると同時に、情報を管理できる人と、そうでない人との格差を生み出す要因にもなりました。
ここで注意しなければならないのは、私たちが古代社会について知ることのできる情報そのものに偏りがあることです。
文字資料の多くは、王、神官、役人、商人など、文字を扱うことができた人々によって残されました。そのため、そこに記録されている社会は、庶民や奴隷など、文字を残すことができなかった人々から見た社会とは異なっていた可能性があります。
しかし、私たちが過去を知るためには、こうした文字資料に大きく依存せざるを得ません。
つまり、文字は過去の情報を保存しただけではなく、「後世に何が伝わるのか」そのものにも影響を与えたのです。

主な具体例
メソポタミアの楔形文字、エジプトのヒエログリフ、中国の漢字の祖先などがあります。
初期の文字は、文学よりもむしろ行政や会計と深く関係しています。
「誰が何を持っているのか」「誰が何を納めたのか」「どれだけの穀物を保管しているのか」といった情報を記録する必要があったからです。
文字は、文明を「記憶する社会」から「記録する社会」へと変えていきました。
そして記録が蓄積されることで、行政、法律、税、財産、交易などを、個人の記憶だけでは扱えない規模で管理することが可能になりました。
文字は、後に成立する都市国家や王国、そして大帝国を支える重要な技術の一つになっていきます。
9 国家と官僚制の成立
大分類:大規模な政治組織
農耕によって食料を生産し、余剰を蓄積できるようになると、人口が増え、村落や都市が発達していきました。
しかし、人間の集団が大きくなるほど、血縁関係や個人的な人間関係だけで社会を維持することは難しくなります。そこで、食料や財産を管理し、人々から税や労役を集め、争いを裁き、外敵から社会を守るための、より大規模で継続的な政治組織が必要になりました。こうして王、役人、軍隊、法律、徴税などを備えた国家が成立していきます。
国家の重要な特徴は、個人的な人間関係を超えて、多数の人間を継続的に組織できることです。たとえば、王自身がすべての住民を知っている必要はありません。役人が命令を伝え、税を集め、記録を作り、裁判を行うことで、王や国家の権力を広い地域に及ぼすことができます。
ここで重要になるのが官僚制です。官僚制とは、特定の個人の能力や人間関係だけに頼るのではなく、役職、規則、記録、命令系統などによって行政を継続的に運営する仕組みです。
文字もこの仕組みを支える重要な技術になりました。税として集めた穀物の量、土地や財産、人口、労働力などを記録することで、国家は多数の人間と資源を管理できるようになったからです。
主な具体例
古代エジプト王国、メソポタミアの都市国家、アッシリア、アケメネス朝ペルシア、中国の諸王朝などです。
国家は税を集め、軍隊を維持し、道路や灌漑設備などを整備し、法律を適用しました。
一方で、国家は公共事業や社会秩序を維持するだけの組織ではありませんでした。徴税、労役、軍役などを通じて、人々を強く統制する仕組みにもなりました。
こうして人間社会は、家族や村落といった顔の見える人間関係を超えて、見知らぬ多数の人間を一つの政治組織に組み込むようになります。
国家の成立は、人類が作り出した社会組織の規模を大きく変えました。
しかし、この段階ではまだ国家の支配範囲には限界がありました。交通や通信の速度が遅く、広大な領域を一つの行政組織で直接統治することは困難だったからです。
その限界を越えて、さらに広い地域を一つの政治組織に統合していく段階が、後の大帝国の成立へとつながっていきます。

10 貨幣・会計・市場の発達
大分類:交換と経済システムの変化
社会が大きくなり、分業が進むと、人々は自分で作ったものだけでは生活できなくなります。
農民は農産物を作り、職人は道具や衣服を作り、兵士や役人は軍事や行政を担う。それぞれが異なる仕事をする社会では、生産物や労働を交換する仕組みが必要になります。
その交換は、最初から貨幣によって行われたわけではありません。物々交換だけでなく、贈与、物納、信用、債務など、さまざまな方法が使われました。
しかし、取引の規模が大きくなると、「何をどれだけ受け取ったのか」「誰が誰にどれだけ支払うのか」を記録し、その価値を共通の尺度で表す必要が生じます。
そこで、会計や債務の記録、価値の表示方法が発達し、やがて貨幣が広く利用されるようになりました。
貨幣は単なる金属の塊ではありません。
貨幣を「価値そのもの」と考えることもできますが、別の見方をすれば、貨幣は社会の中で価値を交換するための「共通の情報」です。
たとえば、ある商品が銀貨10枚で買えるということは、その商品と銀貨の間に一定の交換関係があることを意味します。さらに、その銀貨を使えば、別の人から別の商品を購入できます。
このように貨幣は、異なる商品や労働を一つの尺度で比較し、交換することを可能にしました。
主な具体例
メソポタミアでは、銀が価値を表示する基準として使われ、穀物などによる支払いも行われました。
その後、古代ギリシャでは貨幣が広く使用され、リディアでは紀元前7世紀頃から鋳造貨幣が発達したとされています。ローマ帝国でも広い領域で貨幣が流通しました。
貨幣の重要性は、単に物を交換しやすくしたことだけではありません。
貨幣によって、人間同士の関係を、具体的な人間関係から切り離して表現できるようになりました。
それまでの取引では、「誰から受け取ったのか」「誰に返すのか」という人間関係が重要でした。しかし貨幣を介すると、相手をよく知らなくても、一定の価格で商品やサービスを交換できます。
市場はこの仕組みをさらに拡大しました。
市場では、人間関係そのものではなく、価格という共通の情報を介して、多数の人間が互いに結びつきます。
つまり貨幣と市場の発達は、人間社会に新しい種類の関係を生み出しました。
それは、「知っている者同士」の関係だけではなく、「価格を介して知らない者同士が結びつく」関係です。
そして、貨幣、会計、信用、市場が発達すると、地域を越えた交易も拡大していきます。
国家が人間を政治的に結びつける仕組みだとすれば、貨幣と市場は、人間を経済的に結びつける仕組みになりました。
こうして人類は、血縁や地縁だけではなく、政治制度と市場経済という、より抽象的な仕組みによって大規模な社会を形成するようになっていきます。
11 金属精錬と軍事技術の発達
大分類:物質・生産・軍事能力の変化
人類は長い間、石や木、骨などを道具の材料として利用してきました。
やがて鉱石から金属を取り出し、加工する技術が発達します。地域によって時期は異なりますが、銅や青銅が利用され、さらに鉄の精錬・加工技術が発達していきました。
金属は農具、工具、武器、装飾品など、さまざまな用途に使われました。
農具の改良は土地を耕す能力を高め、工具の改良は建築や加工の能力を高めました。一方で、武器の改良は戦闘能力を高め、社会の軍事的な力関係にも大きな影響を与えました。
主な具体例
青銅製の武器や祭器。
鉄製の農具や工具。
鉄製の武器。
戦車などの軍事技術。
金属製品を作るためには、鉱石を採掘し、運搬し、精錬し、加工する必要があります。
そのため、金属技術の発達は単なる製造技術の進歩ではありませんでした。
金属資源を持つ地域と、金属製品を必要とする地域との間で交易が行われ、遠距離交易の発達にもつながりました。
また、金属製の武器や軍事技術を維持するためには、原料、職人、輸送、食料などを継続的に確保する必要があります。
そのため、金属技術は国家の組織力とも深く結びついていきます。
技術は社会を豊かにするだけではありません。
より強力な武器を作ることができれば、戦争の方法が変わり、国家や都市の勢力関係も変化します。ある国家が優れた武器や軍事技術を持てば、周辺地域を征服し、その支配領域を拡大することも可能になります。
つまり、技術は単なる「生活を便利にする道具」ではありません。
それは、生産力を高める力であると同時に、他の集団に対する軍事力を高める力でもありました。
このように、金属精錬、農業、生産、交易、軍事、国家は次第に相互に結びついていきます。
そして、より優れた交通手段、文字、貨幣、行政制度、軍事技術などを組み合わせることで、都市国家を超えて広大な地域を支配する大帝国が成立していくことになります。

12 普遍宗教・思想の発達
大分類:社会を結びつける共通価値の形成
人間の集団が拡大すると、血縁関係や地域共同体だけでは、多数の人間を一つの社会として結びつけることが難しくなります。
そこで重要になったのが、「自分たちは何者なのか」「人間はどのように生きるべきなのか」「何が正しく、何が間違っているのか」といった問いに対する、共通の考え方です。
宗教や思想は、こうした問いに答える役割を果たしました。
特に紀元前1千年紀の中頃には、インド、中国、地中海世界などで、人間の生き方や社会のあり方を考える新しい思想が発達しました。
主な具体例
インドでは仏教やジャイナ教などが成立し、中国では孔子をはじめとする諸子百家の思想が発達しました。
その後、地中海世界ではキリスト教が成立し、さらに西アジアではイスラム教が成立しました。
これらの宗教や思想は、特定の家族や村落だけを対象とするものではなく、より広い地域の人々に共有される思想体系へと発展していきました。
その結果、血縁関係や居住地域の違いを超えて、人々を結びつける巨大な共同体が形成されるようになります。
ここで重要なのは、宗教や思想が単なる個人の信仰にとどまらなかったことです。
「何が正しいのか」「人間はどう生きるべきか」という共通の価値観は、法律、政治、教育、倫理、家族制度など、社会のさまざまな制度に影響を与えました。
また、宗教施設や僧侶、聖職者、学者などの組織も形成され、文字によって経典や思想が記録され、教育や伝播を通じて広い地域へ伝えられました。
つまり、宗教や思想は、人間の心の中に共通の世界観を作ることで、直接顔を合わせたことのない人々を同じ共同体の一員として結びつける力を持つようになったのです。
国家が法律や軍事、行政によって人間を組織するとすれば、宗教や思想は、共通の価値観や世界観によって人間を結びつける仕組みともいえます。
このように人類は、血縁、地縁、政治制度だけでなく、共有された思想や物語によっても巨大な集団を形成するようになりました。
そして、この「共通の思想によって見知らぬ人間同士が結びつく」という仕組みは、その後の帝国、民族、宗教共同体、さらには近代国家や現代社会にも引き継がれていきます。

13 大帝国の成立
大分類:広域統合
国家が成立すると、さらに広い地域を一つの政治組織に統合しようとする動きが現れます。
農業生産力、人口、金属製の武器、軍隊、道路や交通、文字、貨幣、行政制度などが発達すると、都市や一つの地域を越えて、非常に広い領域を継続的に支配することが可能になりました。
こうして成立したのが大帝国です。
帝国の成立には、軍事力が大きな役割を果たしました。周辺の国家や民族を征服し、服属させることで支配領域を拡大したのです。
しかし、広い領域を軍事力だけで支配し続けることはできません。
征服した地域から税を集め、道路や交通網を維持し、軍隊を配置し、法律や行政制度を機能させる必要があります。また、異なる民族や宗教を持つ人々を統治するため、それぞれの地域の慣習や宗教を一定程度認めるなど、さまざまな統治方法が用いられました。
主な具体例
アケメネス朝ペルシア、アレクサンドロスの帝国、ローマ帝国、秦・漢帝国、イスラム帝国などです。
これらの帝国は、異なる民族、言語、宗教、文化を持つ人々を、一つの政治・経済圏に組み込みました。
帝国内では道路や港湾などの交通網が整備され、貨幣や度量衡が広く使われ、商業や人の移動も活発になりました。
その結果、商品だけでなく、技術、農作物、宗教、思想、言語なども広い地域を移動するようになります。
一方で、人間の移動が活発になることには負の側面もありました。
人や動物の移動に伴って病原体も広がり、疫病が広範囲に伝播することもありました。また、征服戦争による死者、奴隷化、強制的な移住なども帝国形成の一部でした。
つまり、大帝国の成立は単なる「文明の発展」ではありません。
軍事力による征服と、行政・交通・貨幣・文字などによる統合が組み合わさることで、これまでになかった規模の人間社会が形成されたのです。
大帝国によって、人間の活動範囲は大きく広がりました。
それまで別々に存在していた地域が政治的・経済的につながり、人、物、情報、技術、思想、病原体などが広域を移動するようになったことは、その後の世界史を大きく変えていきます。
14 活版印刷と出版
大分類:情報の大量複製
これまでの人類社会では、文字による情報を広めるためには、基本的に人の手で書き写す必要がありました。
古代から紙や木版印刷などの技術は存在していましたが、15世紀のヨーロッパでグーテンベルクらによる活版印刷が普及すると、文字情報を大量に、比較的安価に複製することが可能になりました。
もちろん、印刷技術そのものがヨーロッパで初めて発明されたわけではありません。
中国では木版印刷が発達し、朝鮮では金属活字も使用されていました。
重要なのは、印刷技術の発明そのものよりも、印刷と出版が社会の中に広く普及し、情報を大量に複製・流通させる仕組みが形成されたことです。
主な具体例
中国の木版印刷。
朝鮮の金属活字。
グーテンベルクによる活版印刷。
聖書をはじめとする宗教書、学術書、政治的なパンフレットなどの大量出版。
印刷物が大量に流通すると、知識を一部の聖職者や学者、支配者だけが独占することが難しくなります。
もちろん、印刷された本を誰もが読めたわけではありません。識字率や教育の普及、出版物を購入する経済力などの条件が必要でした。
それでも、同じ内容の本を大量に複製できることによって、知識を共有できる人間の範囲は大きく広がりました。
印刷技術は宗教改革、科学、教育、政治思想などの普及にも大きな役割を果たしました。
また、同じ文章を大量に複製できることは、情報の正確な共有にも大きな意味を持ちました。
一人の人間が書いた文章を何百、何千という人間が読むことができ、離れた地域の人々が同じ情報を共有できるようになったからです。
これは、人間社会における「情報の複製コスト」を大きく引き下げました。
それまで情報は、基本的に「人から人へ伝えるもの」「手で写すもの」でした。
しかし印刷技術によって、情報は「大量に複製して広く配布するもの」へと変わっていきます。
この変化は、人間の知識の蓄積と共有の方法を大きく変えました。
そして、情報を大量に複製できる社会では、科学的知識だけでなく、宗教、思想、政治的主張なども広い範囲に急速に伝わるようになります。
印刷技術は、単なる出版技術ではありませんでした。
それは、人間の「知識を共有する能力」を大きく拡大する技術だったのです。

15 大航海と世界規模の交易
大分類:世界経済の形成
15~16世紀になると、ヨーロッパ諸国による大航海が進み、大西洋を中心として大陸間の交流が急速に拡大しました。
もちろん、それ以前にも世界には広域的な交易網が存在していました。
シルクロードによって東アジアから中央アジア、中東、地中海世界が結ばれ、インド洋ではアラブ、ペルシア、インド、東南アジアなどの商人による海上交易が行われていました。
したがって、大航海時代は「それまで交易がなかった世界に交易が始まった時代」ではありません。
大きな変化は、それまで比較的独立していた交易圏が、大西洋を経由してアメリカ大陸を含めた形で恒常的につながり始めたことです。
主な具体例
コロンブスによる大西洋航海。
ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の開拓。
スペインとポルトガルによる海外進出。
アメリカ大陸の銀鉱山から産出された銀の大量流通。
アメリカ大陸からヨーロッパへは、ジャガイモ、トウモロコシ、トマト、カカオなどが伝わりました。
一方、ヨーロッパからアメリカ大陸へは、小麦、サトウキビ、家畜などが持ち込まれました。
さらに、人間の移動に伴って天然痘などの病原体も大陸を越えて移動しました。アメリカ先住民の社会は、ヨーロッパ人との接触によって大きな人口減少に見舞われることになります。
また、この時代には植民地支配や奴隷貿易も拡大しました。
アフリカから大量の人々が強制的にアメリカ大陸へ移送され、農園などで労働を強制されました。こうした人間の強制的な移動も、世界経済の形成に組み込まれていきます。
つまり、大航海時代に広がったのは商品だけではありません。
人間、作物、家畜、病原体、技術、宗教、文化、そして富が、大陸を越えて移動するようになりました。
その結果、それまで比較的離れていた世界の各地域が、継続的な交易と政治的・軍事的関係によって結びついていきます。
ここから、人類社会は単なる地域経済の集合から、次第に「世界経済」と呼べる関係へと組み込まれていきます。
しかし、それは各地域が対等に結びついたという意味ではありません。
軍事力や航海技術を持つヨーロッパ諸国は、交易だけでなく征服や植民地支配を進め、世界各地から資源や労働力を獲得しました。
世界の一体化は、交易の拡大と同時に、支配と格差の拡大ももたらしたのです。
こうして16世紀以降、人類社会は、それまでとは比較にならない規模で相互に依存するようになっていきます。
16 中央集権国家の成立
大分類:国家統合
大帝国の成立によって、人類は広大な地域を一つの政治組織に統合できるようになりました。
しかし、古代の帝国と近代の中央集権国家には、大きな違いがあります。
古代帝国では、皇帝や王が広大な領域を支配していても、地方の有力者、都市、宗教組織などに大きな権限が残されていました。
中央政府から遠く離れた地域を、中央の役人が直接統治することは、交通や通信の速度から考えても困難だったからです。
そのため、帝国の支配者は、地方の有力者や宗教組織などを利用しながら、間接的に広い領域を統治することが一般的でした。
ところが、15世紀以降になると、火器、航海術、道路、金融、印刷、文字、貨幣などの発達によって、国家が人間と資源をより正確に把握し、広い領域を直接管理する能力が高まっていきます。
さらにヨーロッパでは国家間の戦争が激しくなり、火器を装備した軍隊や海軍を維持するため、大規模な徴税と行政組織が必要になりました。
その結果、長い時間をかけて、
地方に分散していた権力
↓
中央政府による徴税・財政管理
↓
常備軍・官僚制の発達
↓
中央政府による法律・行政の統一
↓
中央集権国家
という変化が進んでいきます。
主な具体例
フランス、スペイン、ロシアなどの近世国家では、王権が地方の有力者に対する支配を強め、中央政府の行政能力を拡大していきました。
ただし、イギリスでは議会や地方社会の権限が強く残るなど、中央集権化の過程は大陸ヨーロッパとは異なっていました。
19世紀になると、さらに大きな変化が起こります。
「国民」という共通の政治的・社会的単位が形成され、徴兵制、義務教育、国籍制度、戸籍や国勢調査、全国的な法律、鉄道、郵便、電信などが発達しました。
これらによって、国家は領土だけでなく、その領土の中に住む一人一人の人間を、より直接的に把握できるようになります。
出生、死亡、住所、家族関係、職業、納税、兵役などが行政によって記録され、人々は「国家の住民」から、次第に「国家によって把握される国民」へと組み込まれていきました。
近代国家は、単に広い領土を支配する政治組織ではありません。
領土の中にいる人間を国民として把握し、税を集め、法律を適用し、教育し、軍隊を組織する。
このように、国家が個々の人間にまで行政を及ぼす能力を持つことが、古代帝国とは異なる近代国家の大きな特徴です。
したがって、近代国家の成立とは、単に「国が大きくなった」ということではありません。
それは、地方に分散していた権力を中央政府に集め、中央政府が領土とそこに住む人間を直接把握する能力を拡大していった過程でもありました。
そして、この中央集権化の流れは、19世紀の国民国家の形成へとつながり、日本では明治維新とその後の諸改革によって急速に進められることになります。
17 科学革命
大分類:知識の獲得方法の変化
16~17世紀には、自然を理解する方法そのものが大きく変わっていきました。
もちろん、自然を観察し、数学を使って説明しようとする試みは、それ以前にも存在していました。古代ギリシャには自然哲学や数学があり、イスラム世界では天文学や医学などが発達し、中国でも天文学、数学、技術などについて高度な知識が蓄積されていました。したがって、近代科学が何もないところから突然生まれたわけではありません。
しかし16~17世紀のヨーロッパでは、こうした過去の知識を受け継ぎながら、観察、測定、実験、数学的な記述などを組み合わせ、自然現象を誰が言ったかという権威だけではなく、実際に確かめられる方法によって説明しようとする姿勢が強くなりました。
コペルニクスは地球を宇宙の中心とする従来の考え方を見直し、ケプラーは惑星の運動を数学的に記述しました。ガリレオは望遠鏡による観測や実験を重視し、ニュートンは運動と万有引力を数学によって統一的に説明しました。
重要なのは、これらの人物が個別の発見をしたことだけではありません。
科学革命の大きな意味は、「正しい知識とは何か」「その知識をどのように確かめるのか」という社会的なルールが変わっていったことにあります。
それまでの知識では、古代の学者や宗教的権威など、権威ある人物の説を受け継ぐことが重要でした。それに対して近代科学では、観察や実験によって確かめ、数学によって記述し、他の人も同じ方法で検証できることが重視されるようになりました。
さらに印刷技術の発達によって、観察結果や実験結果、理論を大量に複製して広い地域に伝えることが可能になりました。科学者同士が知識を共有し、互いの成果を検討し、誤りを修正する仕組みも発達していきます。
つまり、科学革命は単に「自然について新しいことが分かった」という出来事ではありません。
人類が「世界についての知識をどのように作るのか」という方法そのものを変えた出来事でした。
この変化によって、自然現象を予測し、再現し、利用する能力が急速に高まっていきます。そして、その知識は工学、医学、化学、農業などへ広がり、やがて産業革命を支える技術的基盤の一つとなりました。さらに、その後の電信、電話、鉄道、自動車、航空機、コンピューター、インターネットなど、近代以降の技術発展にもつながっていきます。
これまでの歴史を振り返ると、人類は言語によって情報を共有し、文字によって情報を保存し、印刷によって情報を大量に複製できるようになりました。科学革命は、その蓄積された情報を使って、自然そのものを体系的に観察し、測定し、検証する能力を大きく高めた段階と見ることができます。
言い換えれば、人類は「知識を持つ」だけでなく、「知識を生み出す仕組み」を発達させたのです。
18 産業革命
大分類:生産方法とエネルギーの革命
18~19世紀、イギリスを中心に産業革命が始まりました。
それまでの人間社会では、生産活動に使えるエネルギーの大部分を、人間や家畜の筋力、薪や木炭、水力、風力などに依存していました。農業でも工業でも、利用できるエネルギーには大きな制約がありました。
そこに石炭を大量に利用する蒸気機関が登場し、生産に利用できるエネルギーの規模が大きく変わります。
蒸気機関そのものは18世紀以前から存在していましたが、ジェームズ・ワットらによる改良によって効率が高まり、鉱山、工場、交通などに広く利用されるようになりました。
主な具体例
蒸気機関、紡績機、力織機、工場制生産、製鉄技術、鉄道、蒸気船などです。
産業革命の重要性は、個々の機械が発明されたことだけではありません。
それまでの生産は、熟練した職人や農民の技能、家族単位の労働、小規模な工房などに大きく依存していました。それが機械と動力を組み合わせた工場に集約され、大量の労働者と機械を一か所で組織して生産する方式へと変化していきます。
機械による生産が広がると、同じ商品を大量に、より速く、より安く生産できるようになりました。生産量が増えることで商品価格が下がり、市場が拡大し、さらに大量生産への投資が行われるという循環も生まれました。
同時に、社会の構造も大きく変化します。
工場が都市に集中すると、農村から都市へ大量の人口が移動しました。農業を中心とする社会では、土地を持つ農民や地主、農村の職人などが社会の重要な構成員でしたが、産業革命によって工場で賃金を得て働く労働者が大きな社会階層として登場します。
都市人口が増える一方で、労働時間、低賃金、労働災害、児童労働などの問題も発生しました。そのため労働運動や労働組合、社会保障、労働法制など、新しい社会制度も必要になっていきます。
また、蒸気機関は工場だけでなく交通にも利用されました。鉄道と蒸気船によって、人や物資を大量かつ高速に移動させることが可能になり、国内市場だけでなく国際貿易も急速に拡大しました。
産業革命によって、人間社会は「土地と農業を中心とする社会」から、「機械、工場、エネルギー、資本、市場を中心とする社会」へと大きく移行していきます。
ここで重要なのは、科学革命とのつながりです。
科学革命によって自然を観察し、測定し、数学によって理解し、再現可能な方法で知識を蓄積する能力が発達しました。そして、その知識と技術を生産活動に利用することで、自然から取り出して利用できるエネルギーと物質の規模が飛躍的に拡大しました。
それまでの人類は、基本的には人間や動物、風、水など、自然界から比較的直接得られるエネルギーを利用していました。産業革命では、地下に蓄積されていた化石燃料を大量に取り出し、それを機械によって動力に変えるようになります。
これは、人類が利用できるエネルギーの量を大きく拡大したという意味で、歴史上の大きな転換でした。
言語によって情報を共有し、文字によって情報を保存し、印刷によって情報を大量に複製し、科学によって自然についての知識を体系的に獲得する。そして、その知識を機械とエネルギーに結びつけることで、生産能力そのものを大きく変える。
産業革命は、この長い歴史の流れの中で、人類が「情報」と「エネルギー」を組み合わせて自然を利用する能力を飛躍的に高めた段階と見ることができます。

19 電気・通信・コンピュータ・インターネット
大分類:情報の電気化・デジタル化
19世紀後半から20世紀にかけて、電気と通信の技術が急速に発達しました。
電信によって文字情報を遠距離へ高速に送ることが可能になり、電話によって音声を遠距離へ伝えられるようになりました。さらにラジオやテレビによって、音声や映像を同時に多数の人へ伝えることができるようになりました。
一方、産業革命によって発達した機械とエネルギーの利用もさらに進み、自動車や航空機などが登場しました。鉄道や蒸気船に加えて、より高速な移動手段が発達し、人や物の移動速度も大きく向上します。
そして20世紀後半になると、コンピュータ、半導体、人工衛星、インターネットなどが登場します。
ここで、それまでの産業革命とは異なる大きな変化が起こります。
産業革命では、機械によって物を大量に生産する能力が飛躍的に高まりました。それに対してコンピュータと通信技術の発達によって、人間は「情報そのもの」を大量に処理し、保存し、複製し、伝達できるようになったのです。
主な具体例
電信、電話、ラジオ、テレビ、コンピュータ、半導体、人工衛星、インターネット、スマートフォンなどです。
特に重要なのは、文字、数字、画像、音声、映像など、それまで別々の方法で扱われていた情報を、デジタルデータとして統一的に扱えるようになったことです。
情報をデジタル化すると、それを電気信号や電波などによって高速に伝えることができます。また、同じ情報をほとんど劣化させずに何度でも複製することができます。
印刷技術によって、本を大量に複製することは可能になりました。しかし、印刷された本を遠くへ届けるには、物理的な輸送が必要でした。
電信や電話、ラジオ、テレビでは、情報そのものを電気や電波によって遠距離へ送ることが可能になります。そしてインターネットによって、世界中のコンピュータがネットワークで結ばれ、個人でも大量の情報を瞬時に送受信できるようになりました。
これは、人類が長い時間をかけて発達させてきた情報伝達能力を大きく変えるものでした。
人類はまず、言葉によって情報を共有しました。文字によって情報を時間を越えて保存できるようになり、印刷によって同じ情報を大量に複製できるようになりました。そして電信、電話、ラジオ、テレビによって情報を遠距離へ高速に伝えられるようになり、コンピュータによって情報を機械的に処理できるようになりました。
インターネットは、これらを一つの巨大なネットワークに結びつけました。
さらにスマートフォンによって、そのネットワークをほぼすべての人が常時利用できるようになりました。人間は「情報を受け取る側」だけではなく、自ら情報を作り、発信し、共有する側にもなりました。
そして現在では、生成AIによって、情報を単に保存・検索・伝達するだけではなく、コンピュータが文章、画像、音声、プログラムなどの情報を生成し、人間の思考や判断を支援する段階に入っています。
この変化は、産業革命による「生産能力の革命」と対比することができます。
産業革命では、人間の筋力を機械と化石燃料によって拡大し、物を生産する能力を飛躍的に高めました。
それに対して情報革命では、人間の記憶、計算、通信、そして一部の知的作業をコンピュータによって拡張するようになりました。
人類史を振り返ると、社会の規模が拡大するたびに、それを支える情報処理能力も発達してきました。
小さな集団では、人間の記憶と口伝だけで社会を維持することができました。人口が増えると文字や会計が必要になり、国家が成立すると行政記録が必要になりました。印刷によって大量の情報を共有できるようになり、近代国家では新聞、郵便、電信、電話などによって広大な社会を結びつけることができるようになりました。
そしてインターネットによって、人類は地球規模でほぼ瞬時に情報を交換できるようになりました。
これは単なる通信速度の向上ではありません。
人類が「情報を保存する能力」「情報を複製する能力」「情報を伝える能力」「情報を処理する能力」を順番に拡大してきた結果として生まれた、情報環境そのものの大きな変化なのです。
そして生成AIは、この流れの先にあります。
人類はこれまで、道具によって身体能力を拡張し、機械によって生産能力を拡張してきました。現在では、コンピュータとAIによって、記憶、計算、検索、文章作成、画像生成など、これまで人間の知的活動に依存していた領域まで機械によって拡張し始めています。
産業革命が「人間の身体能力とエネルギー利用の拡大」だったとすれば、情報革命とAIは「人間の情報処理能力と知的活動の拡大」と見ることができます。
一本の流れ
ここまで19の出来事を見てくると、人類史は単純な技術進歩の歴史ではないことが分かります。
ホモ・サピエンスそのものの基本的な身体能力や知能が短期間に劇的に変化したというより、人間が言語や象徴を使って情報を共有し、その情報を利用してより大きな社会を組織し、さらに新しい技術を生み出すことで、社会の規模と能力を拡大してきた歴史と見ることができます。
大きくまとめると、次のような流れになります。
ホモ・サピエンスの登場
↓
言語・象徴による情報共有
↓
世界への拡散
↓
象徴文化
↓
農耕・牧畜
↓
定住・村落
↓
都市
↓
文字
↓
国家・官僚制
↓
貨幣・市場
↓
金属・軍事技術
↓
宗教・思想
↓
帝国
↓
印刷
↓
世界規模の交易
↓
科学
↓
産業革命
↓
電気・通信・コンピュータ・インターネット
この流れを見ると、人類社会の変化には、いくつかの大きな軸があることが分かります。
第一の軸は「食料」です
狩猟採集社会では、人間は自然の中から食料を得ていました。
それが農耕・牧畜によって、食料を「探す」だけではなく、「生産し、管理し、蓄える」ようになります。
食料を一定の場所で生産できるようになったことで、定住が進み、人口を増やすことが可能になりました。そして村落が形成され、やがて都市が生まれていきます。
農耕は単なる食料獲得方法の変化ではありませんでした。
人間と土地、動物、植物との関係を変え、人口、財産、労働、階層、政治など、社会の基本的な仕組みを変えるきっかけになりました。
第二の軸は「組織」です
人間は最初から巨大な社会を作ったわけではありません。
小さな集団から村落へ、村落から都市へ、都市から国家へ、そして国家から帝国へと、協力できる人数と社会の範囲を拡大してきました。
しかし、人間は見知らぬ人と無制限に協力できるわけではありません。
そこで、言語、宗教、法律、貨幣、行政、文字など、人間同士を結びつける仕組みが発達しました。
家族や血縁関係だけでは支えられない規模の社会を、共通の規則や価値観、情報によって維持するようになったのです。
国家や帝国が成立すると、人間は自分が直接会ったことのない非常に多くの人々と、同じ政治制度の中で生活するようになりました。
そして近代になると、中央集権国家が人口、土地、税、法律、軍事などを直接把握する能力を高め、さらに大規模な社会を組織できるようになりました。
第三の軸は「情報」です
人類の歴史を情報の歴史として見ることもできます。
最初は、人間の記憶と口頭による伝達が中心でした。
言語によって、目の前に存在しないものについても考え、それを他人と共有できるようになりました。さらに文字によって、情報を人間の記憶から切り離して保存できるようになります。
文字は国家の行政や会計にも利用され、法律、税、土地、人口、取引などを記録できるようにしました。
その後、印刷によって同じ情報を大量に複製できるようになりました。知識は一部の人が手で写すものから、多数の人が共有できるものへと変化していきます。
さらに電信、電話、ラジオ、テレビによって、情報を遠距離へ高速に伝えることが可能になりました。
そしてコンピュータとインターネットによって、文字、数字、音声、画像、映像などをデジタルデータとして統一的に扱い、保存、複製、検索、処理、伝達できるようになりました。
つまり、人類は長い時間をかけて、
「情報を共有する」
↓
「情報を保存する」
↓
「情報を大量に複製する」
↓
「情報を高速に伝える」
↓
「情報を機械で処理する」
という能力を拡大してきたことになります。
現在の生成AIは、この流れのさらに先にあります。
第四の軸は「エネルギー」です
人類が利用できるエネルギーも、歴史とともに大きく拡大しました。
狩猟採集社会では、主に人間自身の筋力を利用していました。農耕社会では家畜の力が加わり、さらに水力や風力も利用されるようになりました。
産業革命になると、石炭を利用する蒸気機関が登場し、人間や動物の筋力に依存しない大規模な機械動力を利用できるようになりました。
その後、石油や天然ガスなどの化石燃料が大量に利用され、自動車、航空機、工場などで巨大なエネルギーを使えるようになります。
さらに電気によって、エネルギーを比較的容易に遠距離へ送り、さまざまな機械を精密に制御できるようになりました。
ここでも重要なのは、単に「便利になった」ということではありません。
利用できるエネルギーが増えたことで、人間一人が直接行える仕事をはるかに超える規模の生産、輸送、建設が可能になったのです。
四つの軸は互いに結びついている
食料、組織、情報、エネルギーは、それぞれ独立して発達したわけではありません。
農耕によって食料を安定的に生産できるようになると人口が増え、人口が増えると村落や都市が形成されました。
都市が大きくなると、税や土地、労働などを管理するために文字や会計が必要になり、国家と官僚制が発達しました。
国家が大きくなると、法律、宗教、貨幣、行政などによって、見知らぬ人々を結びつける必要が生じました。
さらに印刷によって情報が広く共有され、科学によって自然を理解する方法が発達すると、その知識が産業技術と結びつき、産業革命が起こります。
産業革命によってエネルギー利用が飛躍的に拡大すると、鉄道、蒸気船、自動車、航空機などが発達し、人と物の移動速度が大きく上昇しました。
そして電気、通信、コンピュータ、インターネットによって、今度は情報の保存、処理、複製、伝達の能力が飛躍的に拡大しました。
このように考えると、人類史は「新しい道具が次々に発明された歴史」というだけではありません。
人間は、
「より多くの食料を生産する能力」
「より多くの人間を組織する能力」
「より多くの情報を扱う能力」
「より多くのエネルギーを利用する能力」
を、長い時間をかけて拡大してきたのです。
そして、この四つの能力が相互に作用することで、人間社会の規模と複雑さが拡大してきました。
最初の人間は、小さな集団の中で生活していました。
しかし、言語によって情報を共有し、農耕によって食料を生産し、文字によって情報を保存し、国家によって人間を組織し、貨幣によって見知らぬ人同士の経済活動を結びつけ、印刷によって知識を大量に複製し、科学によって自然を体系的に理解し、産業革命によって巨大なエネルギーを利用し、コンピュータとインターネットによって地球規模の情報ネットワークを作り上げました。
その結果、現在の人間は、一人の人間の能力をはるかに超えた巨大な社会システムの中で生活しています。
人類史を「人間そのものの進化」だけで見ると、この急激な変化を十分に説明することはできません。
むしろ重要なのは、人間が言語と象徴を使って情報を共有し、その情報を文字、制度、技術として蓄積し、世代を越えて引き継ぐ能力を持っていたことです。
人間の身体や脳が短期間で別の生物になるほど変化したわけではありません。
それにもかかわらず、人間が作り出した社会、技術、情報、エネルギー利用の仕組みは、驚くほど大きく変化しました。
ホモ・サピエンスの歴史とは、ある意味では、人間そのものの進化の歴史というよりも、人間が「人間の外側に作り上げてきた能力」の歴史でもあるのです。


























































