名古屋人の大須案内
大須の街並み
現在、大須はB級グルメの町として有名であり、「矢場とん」本店もこの一角にあります。台湾ラーメン(名古屋めし)を始めた「味仙」もこの近くに店を出していて、味噌煮込みや手羽先を出す店もあります。本物かどうかは別に、安直に名古屋が楽しめる名所です。また、大須観音(寶生院)の門前町でもあります。
本町通が真ん中を南北に走り、東側約100mに万松寺、西側約100mに大須観音が位置しています。
では、大須をディープに見てみましょう。
本町通と平行する 名古屋のメインストリートである 大津橋通 と 片側3車線の伏見通で東西を、大須通りと久屋大通り(100m通り)で南北を仕切られています。松坂屋百貨店本店の南200mぐらいから始まります。栄から500mほどですがその間は商店街で賑わっています。
本町通は戦前までの名古屋のメインストリートで古物商の「コメヒョー」が面し、北側は名古屋城に突き当たります。
昔の大須
江戸の末期には北斎が大須観音 南200mの本願寺西別院の境内で「大だるま図」を描いています。
戦前は、生薬の店・寄席があったり、見世物小屋が来たり、口上売の大同商人がいたりしました。大須に店を持つ商店は老舗と思われ、他に店を出しても本店は大須でした。周辺には遊郭もいくつかありました。
電気街として
地下鉄東山線が開通し、中心街がその栄駅から1kmほどになる昭和40年代はさびれていました。地下鉄名城線ができ、昭和52年6月にアメ横第一ビルが、59年11月にアメ横第ニビルが建てられ、パソコンブームと相まって電気街として復活しました。
電気街には異常に安い物や 他で入手できない専門的なものがあります。
今の大須
その後、古着、タッツー、ファッション、グルメと古くからある店が統合され、現在の姿となっています。
萬松寺
萬松寺は1540年に尾張一円を領していた古渡城主(大須から南へ500mほどの本願寺東別院内)である織田信秀(信長の父)によって建てられました。織田信秀と徳川家康との縁があり、大須に大きな土地を所有し、現在は賃貸経営が行われています(寺の運営は経済的にも大変だったのでしょう)。
また、萬松寺には玉屋庄兵衛氏のからくり人形もあり、時々 顔を出します。
また、7つ寺もあり、大須は寺町でもあります。
古墳
道の拡張・ビルの建設などで ほとんど 破壊され ましたが、大須古墳群がありました。
大須は古代から続く、歴史ある商店街です。