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十五の森 人柱 ー 命の概念 ー

名古屋市のすぐ北西に位置する春日井市には、「十五の森」という史跡があります。これは庄内川の反乱に悩んだ松河戸の住人がくじ引きで15歳の娘を人柱として川に沈め、その鎮魂のために作られた場所です。

 

500年以上前の話であり、日本史には登場しない民話です。民間伝承にはさまざまな話が存在します。現在、私たちが学んでいるような日本史の内容は、地方ではあまり知られていなかったのではないかと思います。

人柱の話は日本各地に広く存在しています。

 

涙を誘う話ではありますが、人々の生命に対する考え方は現代の私たちとは異なっています。また、日本の地域や時代によっても異なり、住民も時間の経過とともに変遷します。再確認すると、日本史は勝者によって書かれた文書に基づく、権力者たちの歴史であることと、一つの価値観を持っていることを認識する必要があります。

 

ちなみに、私たちは2人の親を持ち、4人の祖父母を持っています。1世代を30年とすると、500年前の祖先は10万人になります。祖先同士の婚姻も非常に頻繁に行われているため、これはあくまで推計値ですが、武家社会が成立した1200年からは、日本の人口の何倍もの先祖の数となる計算ができます。つまり、すべての日本人は天皇から貧民まで多くのDNAを引き継いでいるのです。一夫一婦制が定着したのは戦後です。兄弟間の遺伝子は非常に類似しており、ほとんど差がないと言ってもいいでしょう。また、長子相続が定着してからも日が浅く、"相続する"とは主にどの人が財産を受け継ぐかという人為的なものです。源氏物語に描かれているのは、妻問婚の世界です。妻問婚の世界では財産は女性が継ぎます。

島国である日本は航海術や交易の制約、鎖国政策などによって人の流れが大きく制限され、他の国に比べてまれなDNAが均質な日本人を生み出した可能性があります。

 

世界的に活躍する人々の中には、東アジア以外の血を引く人の割合が圧倒的に多いことを考えると、経済における強さや弱さの原因の一つは、このような均質性に起因している知れません。

現代では人命が非常に重要視され、人権尊重が当然のように言われていますが、それは戦後の日本国憲法の発布によりもたらされたものであり、キリスト教宗教改革フランス革命などを経て形成された価値観に基づいています。

また、日本各地には民間伝承として人柱の話が存在します。

キリスト教が広まる前の西洋でも人身御供は一般的な現象でした。

 

おわりに

庶民の歴史があります。庶民の歴史は残ることが稀です。戦乱の世にあっては、歴史は大将や豪傑のみを語ります。勝者が歴史を語ると言い、歴史学者の磯田さんは後継ぎがない人は擁護する人がいないので、悪く言われる。といいました。

語られることの少ない庶民の歴史を知ることは、その頃の人々の生活を知るためには重要だと思います。大多数は庶民として暮らし、歴史書に出て来る人はごくわずかです。youtubeで、historica の2人組が、廃村を訪ねています。庶民と言っても裕福な人もいたようですが、

その暮らしを紹介しています。