日本の美
はじめに
私たち日本に住む者にとって、日本の美を日常的に見ています。東アジアの美は他と大きく異なりますが、日本の美は大陸の影響下にありながらも、中国や朝鮮半島とは少し異なると感じます。美は日常的に見ているものに左右されます。美の探求はその地に暮らす人々の探求でもあります。
私たちにとって、日本の美とは何か、そしてその理由について考察してみたいと思います。
短歌論
短歌や俳句は文字における日本の美であり、短歌は31音、俳句は17音で構成されます。
日本語は西洋の多くの言語と異なり、1音は子音と母音の組み合わせで独立しています。そのため、5音と7音の組み合わせはリズミカルであると感じます。英語の詩は韻を踏んでリズムを取りますが、日本の詩では韻を使ってもリズムを取ることは補助的です。
31音や17音で詩を作る際には、言葉やイメージの重複を避けることが重要であり、重複する場合はその理由があるとされます。俳句では季語を用いることでイメージを助けています。
短歌の言葉は、言外にまでイメージを膨らませることであり、それによって言葉数を減らします。それは削ぎ落とす作業です。
俵万智さんの短歌『サラダ記念日』、『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日(俵万智)を例に説明します。ここでの『君』は、パートナーの相手であり、その愛情が深いと思われます。そして、美味しいサラダとはどのようなもので、どんなドレッシングが使われているのかと考えます。最後に『サラダ記念日』という造語からは、新鮮さとリズム感が感じます。
捨てる
日本美術の代表的な形式の1つが能です。能では大掛かりな舞台装置は使われません。
仮面をつけているため、顔で演技することもできず、衣装でも演技することができません。歩き方もすり足です。結局のところ、演技は顔の角度などごくわずかな要素で表現されます。能面の選択が、登場人物の性格や感情を表します。このように非常に制限された形式ではありますが、能は多くの演目を通じて多くの人々を引きつけます。
浮世絵
浮世絵は魅力的で、展覧会でも人気が高い。
葛飾北斎や写楽など、その表現は卓越しています。リアルではなく、版画なので、色数やグラデーションには大きな制限があります。
狩野派は城などの障壁画を手掛けましたが、浮世絵は庶民が壁に飾っていました。そのため、いずれも意匠性が重視されています。
下図では遠近法が使われています。遠近法は、伝統的な狩野派などが封じてきた技法であり、長崎からの西洋画で学んだものと考えられます。浮世絵の語源は「浮き出る絵」とも言われています。
西洋でジャポニズムが起こったのは、浮世絵であり、狩野派などの伝統的な障壁画ではありませんでした。その理由には何があるのでしょうか。
おわりに
日本の美には制約と削ぎ落としの側面がありますが、それも時代とともに変化します。
私たちはさまざまな物に囲まれていますが、その中から美を見つけ出します。美は主観的なものです。それにどれほど多くの人々が同感し、魅力を与えるか、そして新たな視点を提供できるかです。日本の美を感じるのは私たちが、慣れ親しんでいるからです。 日本人以外が理解されるのはありがたいことですが、理解しないからと言って非難は出来ません。
現代美術の役割は社会的な問題に対する新しい視点を提供することでもあります。