日本と海外

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名古屋の繁華街

名古屋の繁華街

名古屋市の繁華街は、名古屋駅から東に広がっており、池下まで続いています。名古屋は大都市であり、それ以上東・西にも幹線道路である広小路沿いに店が並んでいますが、南北にはあまり伸びていません。幹線道路は広小路・錦・桜の3本があり、桜通と錦通は名古屋駅で終わります。東は桜通りが今池まで、錦通りが池下まで続きます。広小路は名古屋市を貫き、東は東名高速の名古屋インターや愛・地球博記念公園を通ります。

名古屋駅から栄まではビルが立ち並び、金融機関が多く配置されています。南北にも広がっています。

副都心としては、金山が挙げられます。また、今池千種区)、八田・高畑(中川区)、金城ふ頭・築地(港区)、大曽根(北区・東区)がその中心地として機能しています。

 

名古屋市 - Wikipedia

栄では南に1.5kmほどの距離に大須が、北に1.5kmほどの距離に官庁街が広がっています。百貨店は名古屋駅より多くあります。名古屋駅との間には伏見があり、北側には国際センターがあります。バー・ラウンジ・クラブなどが並ぶ錦三丁目は北西にあります。名古屋は第二次世界大戦の空襲で焼け野原になり、街が作り変えられました。それゆえ広い道路も多く、二つの100m道路が交差しています。また、地下街も発達しています。

名古屋駅

名古屋駅は東西に延びていて、駅前は東側を指す。

名古屋駅の下に工事が延びているが、リニア新幹線の駅ともなるとのことで繁華街がさらに南北に延びている。駅前には超高層ビル群があり、その一角に高島屋も入っている。地下街も発達していて、飲食店が多く、名古屋めしを提供している店が多い。

名古屋駅西

昔は駅裏と呼ばれていました。日雇い労働者が多く住み、募集場所であった笹島地域です。

新幹線駅に近いことなどから、街は変わりましたが、リニアの駅が近くなったことで、最近では高級な店が増え、人通りも多くなりました。

 




新栄

錦三が出来るまでは歓楽街でした。一筋南にはディープな飲食店があります。

あまり高級な店はありません。ボッタクられることもないだろうと思います。

駅前にはヤマザキマザック美術館があり、ガレやドームなどの作品が沢山展示してあります。一見の価値があると思います。

新栄 - Wikipedia

 

今池

今は一通りが少なくなりましたが、歓楽街でした。

ディープな店があり、魅力がありますが、初見では難しい街でもあります。

今池 (名古屋市) - Wikipedia

 

金山

典型的な名古屋の副都心です。JRには中央線・東海道線があり、名鉄や地下鉄も通っています。名鉄やJRでは名古屋駅までは5分以内でアクセスできます。また、名古屋駅と比べると、ホームから店までの距離が短いのが特徴です。

市民ホールなどもあり、名古屋台地の上で、古い街です。

織田信長と縁のある古渡城もすぐ北です。古渡と言うから、昔は海であったと思います。

 

大曽根

修正文:

JR線、名鉄瀬戸線、地下鉄、そしてガイドウェーイの駅があります。名古屋駅では、時間的にも運賃的にもJR中央線が最適だと考えられます。また、多くの飲食店もあります。

ガイドウェーイ(ゆとりーとライン)は、見た目は普通のバスですが、四輪駆動車と同じように横に這わせた鉄のレールに沿って動いており、運転手はハンドルを握りません。

道路に降りると通常のバスになります。



大曽根駅 - Wikipedia

 

 

名古屋めし 下

名古屋めし 下

 

はじめに

 

名古屋は関東圏でも関西圏でもありません。中山道信濃や岐阜、飛騨から来た人が多くいました。私の母方の祖父母も飛騨から来ました。料理もそういった影響を受けています。今の名古屋弁も同様に、さまざまな言葉や文化が交じり合っています。

ウナギは関西風に腹開きにしますが、焼いた後の蒸すことはしません。うどんは赤醤油を使い、白醤油は使いません。現在はラーメン屋が非常に多く、汁が少ない油そばなどが出てきていますが、元来名古屋には日本そばの店は少なく、うどん屋が丼物なども扱っており、定食があり、地元の食堂のようでした。ラーメンも日本そばもうどん屋のメニューでした。

「名古屋めし 下」としては、台湾ラーメン、おでん、えびせん、鬼饅頭について書きます。

台湾ラーメン

台湾ラーメンは「味仙」が作ったものです。私が初めて店に行ったのは1975年頃でした。

その時には、青菜炒め、酢豚、あさり炒めなどを食べました。どれもニンニクが効いていて、辛かったです。酢豚はあんかけの入ったチリソース味ではなく、とろみがない甘辛い醤油(おそらく魚醤)がかけてありました。最後には台湾ラーメンを食べました。これは従来の中国料理にはない風味で、一時期はよく通いました。

中国は広大で、民族も多様なため、地域によって料理も異なります。また、宮廷料理から屋台で売られるものまで幅広いです。日本の料理と同様に、中国料理も様々です。主な地域別には四川、上海、北京、広東、台湾などがありますが、それぞれに多彩な料理があります。

上が台湾ラーメンで、下が担々麺です。台湾ラーメン四川省発祥の担々麺の影響が大きと思います。

おでん

名古屋でおでんと言えば、味噌おでんです。醤油ベースのものは広東煮と呼ばれます。具材には牛筋が含まれることもあります。

かつては駄菓子屋でおでんが売られていましたが、季節性のあるかき氷やおでんは、その時期に人気でした。また、季節に関係なくお好み焼きも楽しまれていましたが、現在では駄菓子屋が減少し、その光景を見かけることは少なくなりました。

鬼饅頭

 

家庭で簡単にできるおやつです。小麦粉に砂糖を入れてお湯で混ぜ、1.5cmほどに切ったサツマイモにまぶして蒸す料理です。

えびせんべい

お菓子として今でもどこのスーパーにも複数種類置いてあります。直径2〜3cmの円形が普通ですが、揚げたものや長方形のものもあります。高級品は土産物などの贈答品として扱われています。

八丁味噌

岡崎の限られた地域で出来る高級な赤味噌です。混ぜて使ったりします。

八丁味噌 - Wikipedia

八丁味噌と赤味噌の違いとは?気になる栄養価とレシピ2つ。 | 京都のお弁当屋さん.com コラム (shinobu-corp.co.jp)

味噌溜まり

 

寿司屋では、寿司のつけ汁と刺身のつけ汁が置いてあります。色が濃い方が刺身の付けダレで、刺身をつけます。濃い方には、溜まりが入れてあります。

 

おわりに

名古屋人は質実剛健であり、悪く言えばケチで慎重です。料理においてもその傾向が見られます。味付けは濃厚で、関東地方的なスタイルです。

ただし、江戸で暮らしていた藩士も多く、庶民とは言葉や味覚も異なります。

 
 
 
 

 

 



 

名古屋めし 上

はじめに

名古屋メシには、ひつまぶし、味噌煮込みうどん、味噌カツ手羽先、きしめんあんかけスパ、天むす、どて煮、鉄板スパ、台湾ラーメン、味噌おでん、小倉トースト、エビフライ、鬼まんじゅう、モーニング、カレーうどん名古屋コーチン、ういろう(ういろ)、えびせんべい、守口漬、台湾まぜそば、とんちゃんなどがありますが、戦後に作られたものが多いです。

そのうち、「名古屋めし 上」として、味噌煮込みうどん、味噌カツきしめんあんかけスパを取り上げます。

 

味噌煮込みうどん

山本屋が発祥だと思います。

古い店であるが、チェーン展開してからは本来の良さが失われ、高価なだけの店になったように感じます。多くのうどん屋のメニューにもあり、山本屋の価格の6〜8割程度です。味は山本屋とそんなに変わらない店もあります。

 

味噌カツ

 

現在、矢場とんが来名した人に圧倒的なシェアを持っていますが、名古屋ではどこでも食べることができます。

名古屋地区にはドンカツ料理の店が多くあります。肉の間に大葉やチーズを挟むメニューもあります。油のコクのある味わいに赤味噌ベースのソースはよく合います。また、ゴマを自分で潰してソースに混ぜるようにしている店もあります。

鮒味噌がを食べていたので、あまり、違和感を感じませんでした。

 

きし麵

古くから存在し、名古屋のうどん屋では、きしめんベースでも頼める店が多いです。

きし麺には、花かつお、ほうれん草、薄いかまぼこ、甘辛く煮た揚げなどが載っているものがあります。これは、味のついた揚げを合わせてあっさりとした料理に仕上げたものであり、小腹がすいた時に最適な料理です。

これは正月のお雑煮に似ています。

あんかけスパ

1975年頃に初めて食べました。それまでは、スパゲッティと言えば、トマトベースのナポリタンや、ひき肉のミートスパゲッティが一般的でした。本場のイタリアとはかなり異なると聞いていたので、「これが本場のピザなのか」と思いました。イタリアと中国は古くから交易していたため、どちらかが影響を与えた可能性があります。現在では、日本独自のものから本場のものまで、さまざまなソースがあり、スパゲッティは非常に身近な料理となっています。

おわりに

 

名古屋めしは、名古屋地方でよく食べられます。名古屋で味噌と言えば、大豆を使った赤味噌です。赤味噌には赤ワインがよく合います。

しかし、名古屋人が行く店は来名者が行く店とは異なります。商業主義に溺れないようにしてください。

 

 

 

和暦・西暦

和暦・西暦

行政への申請書や公文書はほとんどが和暦で記載されています。直感的に経過時間がわかりません。こうした点も、日本が経済的に衰退する一因だと考えられます。現在、グローバル化が進む中で、このような伝統を維持したままマイナンバーカードを進めるのは、他にも意図があると感じられます。

 

和暦を西暦に変換するには、昭和は1925年を加算します。昭和25年であれば、25+1925=1950で、西暦1950年です。同様に、平成は1988加算、令和は2018年加算します。つまり、25、88、18の3つの数を覚えれば、昭和・平成・令和の和暦を西暦に出来ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名古屋人の大須案内

名古屋人の大須案内

 

 

大須の街並み

 

現在、大須B級グルメの町として有名であり、「矢場とん」本店もこの一角にあります。台湾ラーメン(名古屋めし)を始めた「味仙」もこの近くに店を出していて、味噌煮込み手羽先を出す店もあります。本物かどうかは別に、安直に名古屋が楽しめる名所です。また、大須観音(寶生院)の門前町でもあります。

本町通が真ん中を南北に走り、東側約100mに万松寺、西側約100mに大須観音が位置しています。

では、大須をディープに見てみましょう。

 

 

節分の豆まきとしては、笠寺・竜泉寺・荒子甚目寺尾張4観音として人出があります。特にその年の恵方に当たる所は非常に賑わいます。大須観音はその親玉みたいな存在で、毎年節分になると賑わいます。

 

本町通と平行する 名古屋のメインストリートである 大津橋通 と 片側3車線の伏見通で東西を、大須通りと久屋大通り(100m通り)で南北を仕切られています。松坂屋百貨店本店の南200mぐらいから始まります。栄から500mほどですがその間は商店街で賑わっています。

本町通は戦前までの名古屋のメインストリートで古物商の「コメヒョー」が面し、北側は名古屋城に突き当たります。

 

 

昔の大須

 

江戸の末期には北斎大須観音 南200mの本願寺西別院の境内で「大だるま図」を描いています。

戦前は、生薬の店・寄席があったり、見世物小屋が来たり、口上売の大同商人がいたりしました。大須に店を持つ商店は老舗と思われ、他に店を出しても本店は大須でした。周辺には遊郭もいくつかありました。

 

 

 

電気街として

地下鉄東山線が開通し、中心街がその栄駅から1kmほどになる昭和40年代はさびれていました。地下鉄名城線ができ、昭和52年6月にアメ横第一ビルが、59年11月にアメ横第ニビルが建てられ、パソコンブームと相まって電気街として復活しました。

電気街には異常に安い物や 他で入手できない専門的なものがあります。

今の大須

その後、古着、タッツー、ファッション、グルメと古くからある店が統合され、現在の姿となっています。


萬松寺


萬松寺は1540年に尾張一円を領していた古渡城主(大須から南へ500mほどの本願寺東別院内)である織田信秀(信長の父)によって建てられました。織田信秀徳川家康との縁があり、大須に大きな土地を所有し、現在は賃貸経営が行われています(寺の運営は経済的にも大変だったのでしょう)。
また、萬松寺には玉屋庄兵衛氏のからくり人形もあり、時々 顔を出します。

 

また、7つ寺もあり、大須は寺町でもあります。

古墳

 

道の拡張・ビルの建設などで ほとんど 破壊され ましたが、大須古墳群がありました。

 現在の那古野山古墳

大須は古代から続く、歴史ある商店街です。

 

 

 

 

名古屋の観光

名古屋の観光

はじめに

 

確かに、太平洋戦争で軍需工場が多かった名古屋の街は焼野原となり、何もなくなった。

しかし、あれから80年近くが経った現在、町は随分変わった。

戦後建てられた鉄筋のお城は石垣は残った。戦国時代を終わらせた、3英傑を生んだ基盤は豊かな濃尾平野や繋がっている三河平野にあり、陶器の瀬戸、常滑がある。戦前は芸どころでもあり、お茶屋や和菓子屋も多い。

今の名古屋弁は濁音が多く、穢いが、元の名古屋弁は、「なもうす=なも」「遊ばせ=きゃそばせ=きゃ」となり、武家言葉の影響を受けている。それに流入してきた人の方言=瀬戸なまり、岐阜なまりなどが加わり、現在の名古屋弁となった。

 

繁華街

名古屋市の繁華街は名古屋駅前と栄です。名古屋駅の東2キロ弱に栄があります。名古屋駅から栄には広小路通(6車線=片側3車線)・錦通(6車線)・桜通(メイン道路6車線+側道片側2車線)が通っています。広小路通は混雑していて、桜通りは広いけど少し北に外れています。広小路通を用もなく長く走ることはしません。

 

23年10月のネット記事で錦三丁目で2時間飲んで41万円請求された記事が出ていたが、客引きに連れていかれては絶対ダメだと思う。専属の客引きはいなくて、店は1客辺り最低でも1万円は払っている。また、名古屋は山口組組長を擁する弘道会の本拠地でもある。普通の名古屋人は客引きを避ける。

私は錦では客引きの声がかからないように速足で歩いた。設立から、5年以上経っている必要がある。ただ、そういった店は大抵常連客ばかりである。

観光客であればホテルのフロントに聞くのが間違いないだろう。

歓楽街が女子大小路とは淫靡ですが、この一角に中京女子短期大学があったためで、現在はそこは東急ホテルになっています。

 

今のメインの歓楽街である「錦」は錦大津橋交差点の北西である錦三丁目のことで、「キンサン」とも言います。出来上がっていったと言うより作られた街で、出来てから50年ほどです。それまでは、住吉町が錦の南側に、女子大小路が南東にあり、名古屋の歓楽街を担っていました。

現在の錦は高級なイメージで、住吉町は若い人が多く、女子大小路南の池田公園周辺は外国人ホステスが多くいます。

 

副都心 金山・大曽根

 

副都心として、金山橋と大曽根があり、金山橋は主要な名鉄各線、JRは東海道本線・中央線、地下鉄名城線が走り、地下鉄名港線が分かれています。JR在来線の特急も止まり、名古屋駅より飲食店が近いので、待ち合わせには便利です。

大曽根JR中央線名鉄瀬戸線・地下鉄名城線・ガイドウェーバス(高架部分は鉄道に分類)が走っています。

東南には城東園と言われる遊郭街がありました。尾張徳川の別邸であった「徳川美術館」へ行くには便利です。

大曽根商店街は行政の音頭でOZモールとなりましたが、商店への配慮が足りないように思います。

飲食店はサイトで調べられます。全国チェーンでなくて、6年以上続いればいい店だと思います。常連ばかりで仲間に入れない場合がありますので、口コミなので調べてください。

今池

今は寂れていますが、今池も飲食店や商業施設が多い場所です。名古屋めしである台湾ラーメンの元祖「味仙」の本店があります。ディープなところなので、店を知っている人には穴場ですが、店を探すのは結構難しいです。

 

 

 

名古屋駅周辺

 

東西に長い駅が多い東海道線名古屋駅は南北に長くなっています。東京は南側、京都は北側になります。西地区を駅裏と称していて、西1kmほどで中村遊郭に出ます。その付近には暴力団事務所もあって治安が悪いところとのイメージでした。駅東に高層ビル群ができ、西地区には大型量販店が入り、リニア新幹線の駅が整備中であるなど、かつての面影はありません。

名古屋の商店街

 名古屋の商店街は東西に延びる広小路通沿いです。広小路は西側は名古屋駅に突き当たり。東側はさなげグリーン通になります。納谷橋・伏見・新栄・千種駅今池・池下・覚王山・末盛・東山・星丘・一社・本郷・上社・藤が丘などはほとんど地下鉄の駅があり、商店街として連なっています。

濃尾平野

 

日本で面積が五位である濃尾平野は木曾や飛騨の山岳地帯から流れ出る川の扇状地です。

月日が経ち、川が出来たり埋め立てたり、地震津波などで変形して現在に至っています。

防災マップである程度 埋め立ての状況が予想できます。

 

 

川の運んだもので肥沃な土地が作られたため(4大文明の地には大河が流れています)、作物が良く取れました。

3英傑が愛知県出身であることも、古都=京都に近いことと 地域の経済のためです。

 

河川では長さで7位の木曽川(229k)・20位の長良川(166k)・47位の揖斐川(121k)のは他、恵那山から流れる庄内川天白川、市内を流れる山崎川などがあります。山崎川は瑞穂競技場の中を流れています。

 

名古屋市濃尾平野の真ん中近くにあります。木曽川長良川揖斐川木曽三川は暴れ川で、治水をして今の形となりまった。今でも木曾三川下流域では、堤防で洲を囲った輪中が見られ、氾濫しても逃げ込めるように高い石垣の家もあります。

 

名古屋市の川

名古屋市を取り囲むように庄内川が北と西を流れ、天白川が東を流れていて、その支流がそれぞれの川に注いでいます。

      天白川                          庄内川

瑞穂運動場の中を南北に流る 山崎川は市内を経て海に注いでいます。両側に桜が植わっていて、春には花見客で賑わいます。今は禁止されていますが、昭和45年ぐらいまでは屋台も出ていました。

 

運河

堀川は名古屋城の資材を運ぶために作られました。また、治水と運輸のために新堀川今池からの精進川を改修して作られたました。そのため地面が低く、大きな貯木場があり、伊勢湾台風の被害が拡大する原因になりました。他には名古屋駅南の笹島と名古屋港を結ぶ中川運河があります。

 

 

名古屋城がある為、名古屋市が洪水にならないように庄内川の堤防は名古屋市側が反対側より高く作られました。「小田井人足」=見せかけだけやっている様子の 語源です。春日井市には15の森跡があり、決壊する庄内川のために500年ほど前に人身御供とされた15歳の少女の霊が祭られています。

守山区 緑区

  1963年(昭和38年)4月1日
守山区は1963年2月15日、緑区は1963年4月1日、名古屋市編入がされました。これ以降分区はありましたが、編入はありません。それぞれ前の行政区は守山市と鳴海町でした。鳴海町は桶狭間の戦いの主戦場でした。守山市は小牧長久手の戦いの前哨戦が行われました。長久手の戦いの落ち武者伝承があちこちに残っています。小幡緑地公園があり、その近くに野鳥観察小屋も設置されています。自然豊かなところで、山菜もとれます。昔は公園やその北側で松茸もとれたそうです。
庄内川沿いには多くの古墳があり、遺跡指定されています。また、名古屋市の古墳ミュージアムが志段味にあります。
 

 

失敗 ー その貴重さ ー

失敗しよう!

 

世の中には失敗しない2種類の人がいます。

エジソンの名言集の1節には「私は失敗したことがない。ただ一万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ。」とあります。apple社創業者の故 スティーブ・ジョブズ氏も「Stay hungry. Stay foolish.」と似たようなことを言っています。

第2次世界大戦中の日本軍も失敗はしませんでしたが、敗戦に至りました。

「失敗」で重要なことは何を学ぶかだと思います。学ぶためには行った事がダメ=失敗なのを認めることです。失敗=思ったように行かなかった原因を考え、失敗かも知れないが、その失敗の中から得られたことは何かを分析する事です。それらは貴重な経験となります。

 

 

日本は「失敗」をひどく 非難する ように思います。だから「失敗」と言わずに隠してしまいます。言うだけは簡単ですが、「失敗」を非難するのでなく、「隠ぺい」を非難すべきです。